『偉さ』を競わなければバッチリ好印象を与えられるらしい

2018年4月28日

感じの良いオーラを出そう

ギタリスト、ハヤエモニストの北島健吾です。髪の毛切りました。

めっちゃ笑ってますが、いいアコギ持ってたらこんな顔になっちゃいますよね。(顔が近い笑)

昨日はギタリストの佐藤誠さんのライブを見に行ってきました。
初めてお会いする大先輩にも関わらず、緊張しやすい僕が緊張しないで喋れた不思議な方でした。

「なぜ、こうなんだろう??」

緊張してしまう人と話しやすい人の雰囲気の違いについて考えました。

尊敬と萎縮

職場とかにいませんか?
仕事はすごいできるけど、どこか高圧的で苦手な人。
質疑するならその人にした方がスムーズだけど、プライベートで話しかけるのをためらってしまいますよね。

それに比べて、大先輩にも関わらず気さくに話してくださり、冗談を交えつつ話してくれる人。
趣味とか食べ物とか色々な話が弾む人だと、プライベートでも仲良くなれそうな気がしますよね。

どっちがいいですかね?

面白いし、しっかりしている。
人としてカッコいいのに、心的距離感が近い人。
きっとそれって普段のキャラクターや人相から溢れ出るフレンドリーさなんでしょうね。

僕にとってはうまいギタリストが基準ですが、
上手い人とか結果出してる人って『すごい人』なんですよね。
実際にすごいんですよ。でもすごいのに話しかけやすいっていうのは自分の中ではなかなかあり得ないことなんです。

コミュニケーションのバランス感を考えていきます。



初対面でどの程度自分をだせますか?

例えば、、

周りが全員トッププロで自分より明らかに知識人、こんな人たちの前で自己紹介をしないといけない。自分の持っている『面白い話』をしないといけない。

緊張します。
「失礼なことしないかな?」とか、
「自分はこの人にとって面白いバックボーンないだろうしなぁ?」とか初対面で相手のことを何も知らないくせに限界を決めつけがちです。

僕は、自分語りが苦手な方でした。
「これ話して意味あるの?」を先に考えてしまうからです。それは、自分をよく見せたがってる証拠です。
横並びの友達関係だと、そこまで意味に縛られず、平気でジャズフィーリングに富んだ言葉遊びや脱線を繰り返すのに、自分の中で『尊敬』が生まれると固まってしまいます。

何故偉い人が苦手なんでしょう。

偉く見られてる場合じゃない。

偉い人の前で自分を出せないのって、

自分を『偉い』の物差しで測ろうとしてしまっているからだと思いました。

なぜスゴいところを見せないといけないのか?
『偉そうな人』好きですか?
僕は全然無理です。
人が好きになるのは『面白い人』だと思います。

『偉そうな人』『面白い人』は全く違う

人前に出た時には堂々と胸を張れとよく言われます。
でも、胸を張るだけだと『圧』にしかならない場合があります。

堂々としつつ、それが偉そうに振る舞うことじゃなくて相手の立場を考慮した丁寧さを兼ね備えていると、一気に親しみやすくなりますよね。

レッスン現場では

レッスンしている時に、「偉そうに自分の得意なこと語ってる感じ」がでると声のトーンや表情、言葉遣い、いろんな要素で『偉そう』になってしまう時があり、そうすると生徒も自分の『言いたいこと』を言い出せなくなってしまいます。

でも、レッスン以外の要素で『先生は面白い人』っていうイメージが出るとどうでしょう?
冗談いったり、どうでもいい趣味の話をしてみたり『偉い人の前に人間』この部分が分かると一気に親近感が湧く気がします。
で、それを探って行くのを生徒側に任せるのではなくて先生が出してく方がいいと思います。

先生というのは無意識に『スゴい人』になってしまいがちなので、自分からとっつきやすさ出していかないと今の時代コミュニケーション苦手な人の方が多いので注意したいところです。

ここまで読んでいただきありがとうございました。

前に緊張感を与えないことの重要性に触れて書きました。
こちらも読んでみてほしいです。