【天才と凡人・番外編①】『センスがいい・悪い』という言葉は存在しない?疑ってみるとわかったこと【上達論】

センスとは何か

ギタリスト、ハヤエモニストの北島健吾(@kengo1228)です。

今回の内容は、継続中の天才と凡人シリーズの番外編で、『上達論』です。

天才と凡人シリーズについてはこちら

今回取り上げる上達論は、『センス』という言葉の危うさ。

気をつけてはいるものの、ついつい出てしまう言葉。

「あの人はセンスがいい」

「この演奏はセンスがある」

「センスがいい服を着ているね」

他にもセンスに関する言い回しって色々あるのですが、

「そもそもセンスってなんだ?」ということです。

センスとは人生そのもの

僕個人の解釈としては、

センスは本人の感度と経験から得られた意識の塊だと思っています。

①感度とはこれから経験する物事から重要な部分を見つけ出し、

重要な意識を掘り下げてまとめていくための土台です。

②経験は人生で体験する様々な事象です。

当然、①②①②、、、と何度も何度も繰り返します。

人によって感度という土台のバランスは異なり、

当然経験から得られる意識の濃さは塗り絵のごとく違ってきます。

言い換えれば『人間』としてのバランスです。

その前提で、センスが悪いなんて言おうものなら、

「人として様子がおかしいね」といっているようなものなので

使い方には注意した方がいいということです。


言葉の裏に隠れた意味

「センスが悪い」は人間を否定するようで鋭い言葉なため、

使い方には注意した方がいいです。

「ほめる場合はいいじゃあないか」と思うかもしれません。

「人として優れてるね」と言われて嫌な気はしません。

ただ、結局のところセンスって個人個人のものなので

良し悪しじゃなく、合うか合わないかが多いと思います。

ここらで言葉の潜在的な意味を考えると、

「私を基準に、あなたの歩んで来た人間的バランスは良い、悪い」

もっとシンプルに、「私には合う、私には合わない」「私は好き」「私は嫌い」

これくらいのことじゃないかと思います。

うっかりセンスの良し悪しを語ることが危険な理由

今あるセンスの原因が人生レベルだからです。

物事と向き合ってきた過去については、

後からああだこうだ言われても後の祭りです。

実はセンスというのは、

人が何かを「見事だなぁ」とか「上手だなぁ」とか感心するための大事な要素にもなっています。

「好きだなぁ」と感じるわけです。

ですが、「センスがない」というたった一言で諦めてしまう人もいますので

気をつけた方が良いです。

音楽を含む芸術の場合のセンスとは

何かの技術を上達するためにはまず上達とは何かを考えます。

これがまた問題点が多いです。

・他人が成長を感じる上達と自分が成長を感じる上達が同じ座標にない場合もあります。

・『自分の身体を自分の思い通りに使える』という当たり前のようでいて

当たり前ではない根本的部分を鍛えていく必要があるように感じます。

・前述を踏まえた『センス』を兼ね備えていないと、

身体を使いこなしてるだけで「好き」とは言えないから上手に感じない。

このように、考えていくと迷路のようですね。