こだわりとの向き合い方で時間の流れが全然変わってくる

2018年4月27日

ギタリストの北島健吾です。
突然ですが、みなさんって『こだわり』は持っている方ですか?
そして、失礼を承知で問いますが、そのこだわりは『役に立つ』こだわりですか?
今回はこだわりとの向き合い方は人間の向かう方向を変えていくということを考えようと思います。

『こだわり』は譲れないものなのか

仕事、趣味、勉強、人間関係、いろいろなことがらにおいて『凝り固まってしまって譲れないモノ』これが『こだわり』だと思います。

仕事や趣味についてピックアップすると、

例えば「楽譜を書くのに〜〜社の〜〜っていうソフトを買ったから、これを使って納品するつもりなんだ」「せっかく買ったお気に入りの靴、これ使いたいのに天気がな〜」みたいな。
何も、そうでないとダメと決められたわけではないんだけども、自分の中で譲れなくなってしまっているものですね。

自分もありました。
例えば、サウンドトラックを作る時にはベースのソフト音源で大人気の『トリリアン』なるものがあるのですが、

「せっかく買ったから使いたい」って思っていた時期がありまして、
何を作るにもトリリアン優先で考えてしまうという。
これによって何が起こるかというと、トリリアンの使い方上手くならないといいものが作れないんですよ。
目的がそのこだわりではなくてもっと外側の”より良い作品を作る”とか、そういう部分だったとすれば、方法はもっと出てくるはずなんです。
一つ目はトリリアン上達するでもいいでしょう。
二つ目は、自分でベース弾いちゃうのもありでしょう。
三つ目はトリリアンにこだわらずもっといい音源があるっていう視野が働くかもしれません。
四つ目は「いっそのこと人に任せてみようか?」といったところです。

かっこ悪いですかね?でも誰もダメだとは言っていないし、結果しか知らない人はいいじゃんこれって落ち着くわけなんです。

他にも、趣味のカメラなんかもそうです。
新品のAというレンズがあるわけです。

撮りたい現場では明らかにAのレンズじゃないのにAが使いたくて、

結局は持ち合わせのBを使って丸く収まったけども「A使いたかったのになぁ」みたいな。求められてもない『こだわり』が引っかかって心に残ってしまったり。




それはツールや方法の一つに過ぎない

そもそも、今話してきた内容は目的の為の一つのツールや方法に過ぎないので、現在地と結果に点を打った時に何も最短距離の直線でないとダメなんて誰も決めてないんですよ。
いろんな方法があるし、寄り道もしてもいい。人に頼ってもいい。
ツイッターでこんなことを呟きました。

これも同じようなベクトルの話で、

真面目な人ほど『一生懸命』やることが大事だと思ってしまったりするんです。

もちろん大事です。手抜きはダメだと思います。

でも、「目的の為にどうするのが一番関係者全体で効率よくて、

自分にもストレスが少なくて前進している実感が持てるのかな?」

と考えると「こだわってばかりもいられないよなぁ」と思うんですよね。

自分の時間は一人で生きていくには自由な時間ですが、

何かするごとに些細なこだわりの蓄積で、自分が損なことしてたら、

親御さんや身内の人は残念な気持ちになるだろうし、

仕事やチームだったら、「そのやり方でやりにくいなら変えてもいいよ?なんならその仕事手伝おうか?どうすれば楽になるの?」って思ってたりするもんです。

(そうじゃない場合があることは知っています。)

こだわりをボトルネックにしないようにうまく処理していく

それにしても、最近携わっているアプリ開発アドバイザー。結構面白い。
自分、全く開発できないんですよ。自分でできないからこそ、他の人ならできるんじゃないか?っていう期待だけは捨てないっていう。(笑)
自分が経験していると、経験からの判断で、「多分無理だろう」とか「その案件はできない」とかあるとは思うんですけど、
不思議なことにハヤえもん開発チームの人たちって、できない理由の前にどうすればできるのかを考えて動いてます。
話しているのを見ていて、面白くないことがない。
これってなかなか珍しいことで、人間ある程度のところで満足するとまあいいやってなるんですけどね。

多分りょーたさんのマインドがいいんだろうな。

自分はポンコツなことをまず知ってから始まるっていう論理が大事なんじゃないかなと思います。そこ全く持って一致。
人が周りに集まってきて、ツールではないもっと大きい部分でこだわりは持ちつつ、内側でのこだわりがボトルネックにならないようにうまいことやっていければいいのかと。