緊張させない空気感で、本音を引き出せるコミュニケーション。思考の便秘を防げ。

2018年4月28日

腹に抱えているものどう処分する?

ギタリスト、ハヤエモニストの北島健吾です。
自分がストレスを抱えている時に誰かに話したいとかSNSにつぶやきたいとか思いませんか?
また、複数のSNSを使っている人は『ここには出せない自分』っていうのが明確にあると思います。
今日は自分の言いたいことを言いやすい人と言いにくい人
言いやすい場と言いにくい場について考えました。



SNSとの向き合い方や、ユーザーの分布

ツイッターは鍵でもかけない限りはだらだらと呟いたことが流れていきます。
でもこのツールはどちらかというと『気になる人をフォローする』ツールでして、本来は自分が情報を得たい人を吟味していくことでタイムラインが作られていきます。
逆に発信する側としては、「フォローしたいからフォローしてるんだし、ある程度自分の自由に発信していこう。」といった感覚があると思います。

Facebookやインスタグラムは少し距離感があるというか、『整えられた情報の場』のような気がします。
実際にはあったことのある人とか、リアルな友達と交流していることもあるとは思いますが作品を出す場のようになっている気がします。
フォローじゃなくて、友達なんですよね。

親しき仲にも礼儀ありです。品の悪いところは見せられないです。
また、友達になっただけで、あなたのことに興味ありますよなんて別に言ってはいないんです。
友達って、普通は四六時中あなたのことを見守ってたりしないですからね。よっぽど面白そうなこと発信してた時に食いつく、そんな感じじゃないですかね?
『リア充感』この辺りをかっこよく整えて見せている気がします。ちょっと気張っておしゃれなお洋服着ちゃうイメージです。
それに比べたらツイッターなんかは部屋着のまんま外歩いてるようなイメージです。

ネガティブな発信

これはツイッターの方が多い気がします。
つぶやきだからです。作品発表の場ではない気がします。
自分のことをフォローしたくてしている人が多いですし、
気をつかう必要もないという感じで、思考を垂れ流してる感じがしますね。
で、見られたくなければサブアカウント作ったり鍵かけたりとか色々できます。

また、Facebookとかでリアルな友達に見られたくないような内面とかをツイッターでこぼしてる人もいると思います。

汚してもいい場所と、綺麗に使わないといけない場所。

ところで、話は脱線しますが、
僕は初対面の人には緊張をする方です。
不特定多数を相手にするとお腹が張ります。
高級そうな綺麗な場所に行くと肩が凝ります。
綺麗に掃除された友達の家だと何か汚さないか緊張しちゃってうんちすらできません。

対して、フランクに話せる人とは緊張するどころか顔が筋肉痛になるほど笑います。
大勢いても羽を伸ばせる環境だと、なりたい自分でいられる感じがします。
ちょっと安いファミレスとかだと、すごく気楽です。
ちょっと散らかったその友達らしい人間味溢れる家だと、楽だし。うんちしても大丈夫ですね。

一言で言えば、『うんちしてもいい感じ』『気張らないでいい感じ』のところが落ち着くわけです。

これからの双方向は、お通じの良さ?

この脱線は意味があって、
実は『うんち』とは自分らしいアウトプット表現のことだと思っています。
色々な情報をインプットして新陳代謝を行う上での排泄行為。

実は僕自身、ツイッターは緊張しなくて、Facebookやインスタグラムは緊張するイメージがあります。
友人とか憧れの人がかっこいい写真あげたり活動報告しているところに『下ネタ』をぶちこんだりしにくいですよね。
品のない絡み方したら申し訳ない気さえします。

ところが、ツイッターとかでタイムラインで思考がダダ漏れな人同士だと最初からそのノリで話かられたりします。
気を許しやすい感じがしますねぇ。

『うんちしてもいい感じ』を与えている人だと話しかけやすい

不思議なんですが、『ハヤえもんユーザー界隈』で自分は自分らしいギターを弾けるようになった気がします。
自分が自分らしくアウトプットできる場って、気張らないでいい場所のような気がしますね。

クセがスゴい記事になってしまいましたが、読んでいただきありがとうございました。