『プロ』になるためには何が必要なのか、妄想しがちなこと

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ひょっとして何でもできる完璧超人だと思ってませんか?

ギタリスト、ハヤエモニストの北島健吾です。世の中にはギタリストに限らず色々な職業があると思います。職業という概念を一日の中で時間の大半を占めるものが何かによって定義するならば、サラリーマン、自営業、主婦、学生など様々です。お金が出るもの、出ないものもたくさんあると思います。今回は『プロ』いわゆるお金を稼いでる人について、勘違いしてしまう部分を2点あげたいと思います。




①できないことは何もないと思ってしまう

病院に行った時、「お金を払ったのだから必ず治る」と思いますか?

実際のところ重要なのは治るか治らないかだけではないわけで、病院にいった後『何もしないよりは満足』な結果が得られることだと思います。
当然、かつての末期癌などの例を見ればわかるように『現在の医療だと、どうにもならないけどどうしようか?』というような状況もあるわけですが、そんな状況だとしてもマシなことをするのがプロだと思っています。専門的な知識・経験・技術に、納得や信用が生まれ、信用を数値化したものがお金なわけです。

町の小さなかかりつけの医院の先生に見てもらってお薬を処方されることもあります。でも、そこの施設で対応ができない場合に大きな病院を紹介されることがあります。比較することはあまりないですが『見てもらった』『納得いく説明があり、信用して大丈夫そうだ』と思えたことが大事だと思います。その時に「大きな病院ではあの機材もあったしこの機材もあった、やっぱり小さい医者は信用できない」というようにスケール感が違うもの同士を比較して考えることもあまりないのかなと思います。どちらかというと、かかりつけの先生が可否含めて判断して最善の方法を説明したっていうだけで価値が増してるかもしれません。もちろん個人個人の考え方の癖なので信用を何で測るかは人それぞれではありますが。
ギターでいうと『できないことが全くないのがプロ』ではなくて、住み分けがあると思います。脳外科の先生に骨折を診ろとは言わないのと同様に、ブルースの先生にメタル教えて欲しいとは言わないと思います。

②直接的な成果のみにお金を貰っていると思ってしまう

これはむしろ仕事している側の方が勘違いしてしまうところかもしれません。例えばコンビニエンスストア。会社、従業員、お客とプレイヤーがいたとして、クレーマーが増える昨今、ついつい『直接的に満足させることに対価をもらっている』と勘違いしてしまいがちですが、実のところお金を払っているのは一人の顧客じゃなく集合体であり、会社という大きな組織にお金が流れ込み分配されているだけです。仮に客Aが欲しかったおにぎりの鮭が欠品して明太子を買ってしまったとしてもナーバスになりすぎることはないと思います。お店について陳列棚を見た時、『たまたま自分の前のお客がおにぎりの鮭を10個買ったために納品数は十分だと思えたのに欠品した』とします。バイトの高校生はお給料がもらえないんでしょうか?店舗責任者はお給料がもらえないんでしょうか?そういうことはないと思います。鮭が売り切れた時に明太子を提案できていたことにも価値はあります。欠品したのに「品揃えがあってよかった」と思います。
現実問題を考えると品揃えをよくするためには家賃や維持費がかかります。全ての商品を今の2倍置けるようにするとお店のサイズや棚のスケールも大きくなりますし売れ残った在庫はどう処分するのか?といった問題も出てきます。ごく少数の人気のものが売り上げの多くを占めつつ、あとの多くは少しずつが基本だと思います。
ギターにおいても全てを網羅しておく必要はなく、知識として経験をしておいてその場で調べられるようにしておくだけでいいです。今まで弾いた演奏すべてを覚えている人は稀ですし、生まれてから今までで全世界の音楽をすべて網羅して弾けるわけではないのに、リクエスト曲1曲その場で弾けないだけで「音楽の素養がないクソ」とまでは言わないです。

番外編 「できないと嫌だ」という感情との付き合い方

全く妥協できないときも当然あります。これはどちらかというと心の癖だと思います。

例えば、子供の頃に誕生日プレゼントに好きなおもちゃを5,000円まで買って良いと言われて、限られた予算で出来る最大限の買い物を計画したとします。
でも時は既に遅く、お店にいっても在庫はなく、もう生産してないので待っても手に入らないとします。
無理矢理にでもネットで手に入れようとすると、稀少な分コストがかかります。
5,000円しか可能枠がないのにプレミアムが付いて50,000円になりました。
10年間5,000円を貯め続けても手に入るかわからないのにこれを買わないと納得できない!
プレゼントを買ってくれるお父さんお母さんにまで「欲しいもの買えないなら納得できない!」っていじけてしまうのは何か違うような気がしてしまいます。

ギターを教えるにあたっても『到底できないこととどう向き合うか』を考える機会があります。

とんでもなく難しいコードフォームがあったとして、音的にはそれじゃないと満足いかないのに『手がよっぽど柔軟で指も長くワイドに開く限られた人』じゃないと押さえられないコードだったとします。

「先生、このフォームどうやっても音が綺麗に鳴らないんですけどどうしたらいいですか」

この質問に対して、「同じような雰囲気のコードならこういう風に音入れ替えても良くない?」とコード理論をプレゼントするのはどうでしょうか?
欲しいものの原型とは程遠いものの、自分でできない場合の代替案を考えられるようにするのも大きなプレゼントだと思います。
頑張ればなんとかなるレベルの質問と、頑張ってもなんともならないレベルの質問とがもちろんあると思うので段階にもよります。

それでも、きちんと何かで補完されると満足するんですよね。




上記を踏まえた上で現実的に期待すること

上記のように、お金というものは意外に直接的ではない満足感から得られる場合があります。できないこともありますし、できなくても満足してもらえる場合があります。なぜ期待に応えることができなくても満足したのかというと、提案力や信用、付加価値の問題だと思います。

もちろん、クオリティを妥協したくない気持ちもありますが、クオリティを妥協したくないがために代替案を考えられないのも大きな回り道になってしまってかえって満足度が下がってしまうこともあります。ここを気をつけていきたいですね。