自分の才能がないことがわかる人は才能がある人

人生を諦めないために

ギタリスト、ハヤエモニストの北島健吾です。

今回の記事は『才能』についてです。
会話の中でよく見聞きする「自分才能がないんで」「自分下手くそなんで」という表現。
あれ、言える人は才能がある人の仲間なんです。というか才能がないなんていう言葉自体がなかなか成立しないと思っています。
『自分=才能がない』という思い込みを持った方、どう才能がないか自覚していますか?

本当は、才能に蓋をしている、、なんてことありませんか?



才能がないのになんで自分の才能がないとわかるのか

昔から言われていますが、それを知覚できている人とそうでない人の2種類がいます。

例えば、『音痴』という状態ですが、
自分が音痴だとわかるには基準と比べることできなければなりません。
基準と比べる物差しの精度に個人差はあれど「何か違うな」と感じることができる時点で才能の芽生えだと思っています。

考えてみましょう。音の高さやリズムの違いを認識することが難しい状態の人は自分の音がずれていることには気がつかないと思います。

鍵盤のドとレの違いがわかれば音の高さに違いがあることがわかっているので、相対的な音感はあるはずです。

電車の踏切の音。カンカンカンと音が鳴ったな?とか

ゆっくり喋る、早く喋るなどが出来る人は、リズムを知っていませんか?

そうです。

なかなか、才能がないって言い切れるものではないと思っているんです。

これから、なぜこの話をしているのかに移ります。

発端はお洋服

何と比べてんの?

ぼくはファッションセンスが全くありません。(それどっちのセンスないなの?)
自分が好きな服を買います。
自分の持っているストックと組み合わせても多分いけるだろうと思って買ってみるのですが、
いざ組み合わせてみたときに生じる『何か違う感』に絶望してげんなりします。
何を基準にしているかといえば、
この時は漠然としたカッコいいのイメージと比べての違いなので、
『イケメンかイケメンじゃないか』
『痩せているか太っているか』
『短足か長足か』
『顔は薄いか、濃いか』
など、だれでも違って当たり前でしょ!っていう部分をイメージして違うといっているのです。
無い物ねだり。

それってファッションセンス関係ないなと。

比べる基準を定めておく

重要なのは色彩感覚やフォルム、サイズ感だと。
そこはわかりました。
一般的に合わせやすいのはモノトーン系だと言いますね。
ただ、合わせやすいからそれを着ないといけないのか?と。
世の中にはカラフルに生きている人がたくさんいます。
自分はこんななりをして、赤だのオレンジだの明るい色も好きだし下はジーンズが好きです。
理由は楽だから。ほとんどオールシーズンジーパンだぞ、この野郎。
するとどうでしょう。何かうまくいかないのです。

“下はジーンズだったら上はこれがいいかな?インナーがこれならアウターはこれでレイヤーにしようかな?このコーデならカバンはこれかな?” ということができません。

音楽でいえば、
“Gをルートにして、上にメジャー3rdとパーフェクト5th、ついでに9thもいれてadd 9thにしようかな” これはできるわけです。
コード理論があります。
『こうすればいい感じに和音になるよ。』みたいな。
音楽ではわかる組み合わせの理論なのに、
いざファッションとなるとそれが全くわからない。
そのまま好き勝手に組み合わせると、目が忙しい。または地味すぎる。
音楽でいうところの、「Gのコード好きだから右のギターチャンネルではG弾いて、
G#が好きだから左ではG#を鳴らしちゃう。=半音でぶつかってる」聴いてる側が混乱してしまうような状況です。

ただここまで書いてみて気がつきました。

「これ、センスない事を自覚してるのに勉強してないやつじゃん。」ということ。
どういう組み合わせにしたらマッチするのかがわかっていないやつですし、
過去に購入したストックとの組み合わせを意識できていないので、お店でマネキン買いしても、組み合わせでコーディネートできないから資源を有効に使えないやつです。

音楽であれば理論を勉強できるのに、ファッションにおいては研究がコストだと思ってしまう。

何が足りないかがわかった時点で、それを勉強しようと思えるかどうか。
やる気が芽生えないからセンスが磨かれないのだなと思いました。
つまり自分でサボっている。
人生いろいろ自分の興味分野がありますからね。
全てに感受性を割こうとすると疲弊してしまう人だっているのです。




センスがない人はセンスがないことに気がつかない

ファッションの話からもどって、音痴の2種類についておさらいです。

①無自覚

『本人はめっちゃ楽しんでるけど知らずにずれている』
『みんなに音痴っていわれるけど音痴の意味がわからない』
という状態が全く無自覚。
これは放っておいては才能が芽生えない可能性が高いです。

ただ、冒頭でも書いたように、なんにも違いがわからないってことはなかなかないと思うんです。

リズムがわからなければ言葉を喋るのも難しいですし、音の高さの区別が付かなければ楽器の音全てが同じ音に聞こえているはずです。

気にしたことがない、という程度だと思います。

②自覚できている

『何かずれている気がする』
『いつも音が合わない気がする』
こういう状態は、自分でうまくいっていないことがわかるのに対策を練れていない状態です。

であれば、対策を練ってまじめに取り組めば少しかわると思うので才能がないと捨てたものではないですよね。

どちらでも伸びしろはある

①の状態の人は、自覚することができれば変われる可能性もあり
②の状態の人は、対策を練って真面目にやれば変わるかもしれない状態です

いずれも個人差があり、
いきなり1日2日で有名な歌うま歌手のようにはなれないと思いますが、
何もしていない状態よりは確実に楽しくなると思います。

『何か一生懸命やっているのにうまくいかない』という段階は、
うまくいかないことに気がついている時点で、習得して楽しむ権利を得ていると思います。
うまくいかないことに気がついてないことが一番もったいない状態です。

才能がない、というのは多くの場合、
知らない、または興味がない、に尽きると思います。
教えてもらって大変だと知ると急にやる気がでない、だからセンスを研ぎ澄ましていない。これに尽きると思います。

やればできるのか?

理論通りにロジカルに突き進めばできるのか?と言われると確かに個人差があります。

短距離走が好きだからガムシャラにやっていればオリンピックに出られるかというと、そうもいかない現実があります。

でも、上手い下手で優劣が出てしまうようなものでなければ、
過去の自分よりマシになっただけで随分幸せだと思います。

音楽でもいいし、絵でもいい。写真でもいいし、運動でもいい。